公開日:2018/03/07
更新日:2020/06/13
目次
1-1.弱音を吐くことが「恥ずかしい」「情けない」という感情
1-2.親や友人、上司の影響など
1-3.自己責任優勢の社会
2-1.情緒不安定感の出現
2-2.周囲とのトラブルや強い「イライラ・怒り」の出現
2-3.原因不明の身体症状の出現
3-1.カウンセリングに行こうと決め実行することの効果
3-2.安心して弱音を吐けるようにしていく
3-3.クライエントさんの歴史を聞く
「弱音を吐けない」、という生きづらさ、と題するブログは2018年3月7日に公開しました。それ以来このブログは多くの方に読まれてきています。
理由は色々と考えられますが、端的にいってしまえば「弱音を吐けない」「吐けなくてつらい」あるいは「弱音を吐ける相手がいなくてしんどい」という方が多いからだと思います。あるいは時代とともに多くなってきているのかもしれません。
そこで今回、この記事を読んでくださる方のためにも、また、私自身がこの問題をもう一段深く考えるために、ブログの内容を更新することにしました。カウンセラーとして、「なぜこの記事が一定数の方から読まれているのか」を深く考えることが大事なのではないかと思ったからです。
「弱音を吐けない」という状態を生みだす要因には様々なものがあり、それらが絡まりあってその状態になっていると考えられます。主たる要因は下記のようなものだと考えられます。
1-1.弱音を吐くことが「恥ずかしい」「情けない」という感情
弱音を吐けない多くの方の背景には、弱音を吐くことが「恥ずかしい」「情けない」といった「恥にかかわる感情」が強烈に存在しています。この「恥」というのは、おそらく多くの日本人が抱いている感情だと思います。
言い方を変えると、これは「人に頼る、カウンセリングを受ける」ということも「恥ずかしい」ということになりえるのだと思います。
1-2.親や友人、上司の影響など
1-1,で書いたように、弱音を吐くことが「恥ずかしい・情けない」と強烈に感じるのは、その方が育ってくる中で出会ってきた周囲の人達(親や教師、友人、先輩、上司など)の影響もかなり大きいと考えられます。当人が、弱音を吐いたときに、それに対して「弱音を吐くな、ぐちぐち言うな、甘えるな」といった応答を周囲の人間が継続的にしてきたらどうなるでしょうか。
間違いなく言われた当人は、「弱音を吐く」という行為は「恥ずかしいこと」と捉える、あるいは弱音を吐いたら恥ずかしいという感情が生じるようになり、弱音を吐けなくなります。
一方、上記のように「弱音を吐くな、情けない」という場合はもちろん、当人が吐いた弱音に対して「そんなこと言うなよ!頑張ろう!」「気分転換してみたら」といった周囲の言語的応答も(悪意があってもなくても)、弱音を吐けない要因になりえます。
というのも、当人にとって、弱音を吐かざるをえない状況時の「そんなこと言うなよ・気分転換しようよ」といった励ましや提案は、“誰も自分のしんどさを理解してくれない・注意を向けてもらえない‥”という体験になっていき、最終的に「言っても無駄だな‥言ったら逆にしんどくなるな‥」という思いを強化させていく可能性があるからです。
あるいは、当人が弱音を吐いたときの言語的応答だけではなく「非言語的な対応」やその積み重ねが、弱音を吐けない要因になることも十分に考えられます。ここも悪意があってもなくてもです。
例えば、弱音を吐いたときの周囲の「とりあわない、スルーする」「別の話題に変える」等はその一例でしょう。このような非言語的応答の積み重ねも、上記に記したものと同じ理由で、弱音を吐けない要因になっていく可能性があります。
1-3.自己責任優勢の社会
「弱音を吐けない」要因、背景として、現在の社会・文化的状況もあると思います。特に今の時代は、何かあると「それはあなたが選んだことでしょ」といった「自己責任論」で「ピシャ」っと言われてしまう雰囲気があります。
カウンセリングでも、例えば夫婦関係がかなりこじれて相談に来た方が、周囲にそういった相談をすると「でも、その相手を選んだのはあなたでしょ」と言われてしまって、誰にも相談できないし弱音もはけない、と仰ることがわりとあります。
あるいは、会社の上司との人間関係でしんどくなっているのに、周囲にそれを相談しても「その会社を選んだのはあなたでしょ」「みんな多かれ少なかれしんどさはあるものだし、あなただけ特別にしんどいわけではないでしょ」と言われ、弱音を吐けないし、相談もできない、といったケースもあります。
この「選んだのはあなたなんだからしょうがない、弱音を吐くな」といった「過剰な自己責任的風潮」が社会に流れていると感じるのは私だけでしょうか。
「弱音をはけない」というのは、相当辛い状況なわけですが、それは別の見方をすれば「過剰な無理や我慢をしている状態」と言えます。この「無理・我慢」があるポイントを超えていくと(つまり我慢をし過ぎていくと)、その方の心身や人間関係を含む日常生活に様々な支障をきたしていく恐れがあります。
2-1.情緒不安定感の出現
弱音を吐けない状態が続いた結果、情緒的に不安定になっていく可能性があります。例えば、突然涙がでてきたり、怒りがでてきたり、感情のコントロールが難しい状態が生じてくる可能性があります。あるいは、何をやっていても楽しくない、無感動、無気力、といった状態も生じえます。
2-2.周囲とのトラブルや強い「イライラ・怒り」の出現
例えば、「弱音をはけない人」は、弱音を吐きたい欲求を強烈に我慢し押し殺している可能性が高いので(我慢せざるをえない状況とも言えます)、すぐに弱音をはく他者をみていると、烈火のごとく頭にきて周囲とトラブルを起こしたり、周囲との人間関係が上手くいかなくなる、といった事が生じえます。
自分がしたいと思っているのに強く我慢していることを(意識的か無意識的かはともかく)、他者が平気でしていたら頭にくる、という事ですね。
2‐3.原因不明の身体症状の出現
これは「弱音を吐けない」にかぎりませんが、強い欲求や感情に「ふたをし過ぎる」と、様々な身体症状が生じてくることがあります。例:胃痛・頭痛・腰痛・強度の肩こり・不眠・全身のだるさ感など。
ここでは、「弱音を吐けない」辛さを抱えている方、あるいは、そのような状況から、上記 2.,に記した問題を抱えている方に、カウンセリングでどのように関わっていくかを述べてみたいと思います。
3-1.カウンセリングに行こうと決め実行するこの効果
実は、このような問題を抱えている方は、「カウンセリングに行こう」と思い、行動に移された時点で、抱えている問題が私の感覚的には、3分の1から~4分の1ぐらいは解決されている感触があります。
というのは、相当しんどいにも関わらず、そのような方は、上記に挙げた様々な要因が絡まりあって弱音を吐けないですし、人に相談をすることが困難ななわけです。「弱音を吐くことは恥ずかしい、情けない」といった思いを抱えてきたり、「吐いたら逆にしんどくなる、不用意に相談できない」といった思いや体験を積み重ねてきていれば当たり前ですよね。
ですから、このような方が、不安や怖さを抱えつつ「カウンセリングで話してみよう」と思い、行動に移した時点で実は「心が大きく動き始めている」わけです。「肯定的な変化が生じやすい心の状態に変化してきた」と考えられます。
とても悩ましいことなんですが、私のような開業カウンセリング機関にいるカウンセラーは、カウンセリングへ行くことに関して、いわゆる「背中をおすこと」が直接的にはできないんですね。この点に関しては、またの別の機会に書きたいと思います。
*このあたりは、「カウンセリングを申し込む」という行為がいかに大変か、と題するブログでも若干ふれていますので、ご関心のある方はご覧ください。
3-2.安心して弱音を吐けるようにしていく
とはいえ、そのような背景をもってカウンセリングにこられた方は、弱音を吐く、人に相談するということに不安や戸惑い、あるいは「恥」といった感情を感じているケースが多い。
ですのでカウンセラーは、クライエントさんが「安心して」話したいことや弱音を吐けるよう、様々なことに留意しながらカウンセリングをしていきます。
その中の主なものの一つは、弱音を吐いたりしながら、あるいは吐いていく中で生じる「恥、情けなさ、戸惑い」なども、同時に語っていってもらうという事です。例えば「こういう話をしていると(弱音を吐いていると)、やはり恥・情けない、という気持ちがでてきて喋りづらいですね」といった感じです。こういった気持ちを臨床心理学的には、弱音を吐くことへの「抵抗」とよんだりします。
以上のように、「安心して弱音を吐きつつ同時に抵抗を取りあげていく」中で、クライエントさんは随分弱音を吐けるようになっていきます。
3-3.クライエントさんの歴史を聞く
上記のようなカウンセリングをしていくと、ほぼすべてのクライエントさんと、“どうして自分は弱音を吐けなくなったのか、どういう出来事や体験・気持ちの積み重ねによってそういう状態になっていったのか”を、一緒に振りかえっていくカウンセリングの流れになります。これはクライエントさんのそれまでの人生の歴史を振りかえる営みと言ってもいいでしょう。
1-2.にも書いたように、「弱音を吐けない」のは、「もともとの性格」ではなく、そうなるだけの周囲や環境との関りという「歴史的・環境的要因」が強く影響を与えているからです。「弱音を吐くことを強く我慢せざるをえない背景」があったわけです。
そこを一緒に振りかえっていくなかで、過去の様々な出来事を思い出したり、その時感じていた気持ちが想起されたりしていきます。この過去を振りかえるカウンセリングの過程では、自分の人生にとってしんどかった出来事やそこで体験した気持ちが蘇ってくるので、一時的にしんどくなることがあります。
“あ~あの時こんなことがあったな~、今振りかえるときついな~”といった形で、様々なエピソードやその時の感情が思い出されてくるわけです。ですので、これは一時的にきつさが生じえます。ですが、そのように過去を「ていねいに少しずつ」振りかえりそこで生じた情緒に触れていく中で、当人が抱えてきた、しんどさやきつさがやわらいでいきます。
また、そのような「自分が生きてきた歴史を振りかえる」なかで、“あ~自分が弱音を吐けなくなっていったのは、こういった出来事や気持ちの積み重ねが要因だったんだな~”と、自分の弱音を吐けない状態がどういう経緯で生じてきたのを「実感をもって」理解していくことになります。深い自己理解が生じてくるわけです。
そうすると、弱音を吐く事への「抵抗感」がどういった背景から生じてきたのか、いわば「由来」のようなものが実感とともにみえてきます。そして、この「由来を深く理解していくこと」によって、抵抗感がやわらぎ弱音を吐くことが、以前よりできやすくなっていく可能性が高くなります。
おそらく、この「クライエントさんの歴史を振りかえる営み」は、「弱音を吐けない」しんどさをめぐるカウンセリングの中核にくると考えています。
上記のようなカウンセリングを継続し上手くいくと、どのような変化や効果が生じてくるでしょうか。
言うまでもなく、弱音を吐けないことから生じていた辛さが、弱音を吐けるようになっていくことによって、相当程度和らいでいきます。当たり前と言えば当たり前ですが、これは当人にとって大きな変化で、極端に言えば人生が変わっていく、ぐらいの変化と言ってもいいでしょう。
その過程で、上記、2.,に記載したような情緒不安定などの問題が改善・解決されていく可能性もあります。
この背景には、これまで説明してきたように、カウンセラーを相手に、弱音を吐く行為を積み重ねていく中で、より正確に言えば、“弱音を吐いても批判されたりしないんだな、きちんと聞いてもらえるんだな、そうすると心がこれだけ楽になるんだな” ということを、「心や実感を通して体験していく」、というカウンセリングのプロセスが存在します。
学習理論の観点から言えば、カウンセリングを通して、弱音を吐くことに関する「新しい学習」がなされていったとも言えるでしょう。
この変化・学習は「楽になる」以外に、その後の人生に大きな影響を与えていくことにもなります。というのも、カウンセラーを相手に弱音を吐けるようになっていくことによって、クライエントさんは、これから先の人生の中でしんどい状態になった時、信頼できる他者に弱音を吐くことができる可能性が高くなるからです。
もちろんある程度人を見極める必要はあります(ここはここで難しいテーマなのですが今回のブログでは割愛します)。ただ、カウンセリングの中で心の深い部分に醸成していった、“弱音って聞いてもらえるんだ・聞いてもらえるとけっこう楽になるんだな‥”といった体験の積み重ねは、カウンセラー以外の他者にも弱音を吐くことのできる「心の素地」を育てていくことになります。
カウンセラーだけではなくカウンセラー以外の他者にも弱音を吐けるようになる方が、その方の心の状態、あるいは人生にとってプラスなのは言うまでもありません。
更に上記に述べたように、弱音をめぐるカウンセリングでは「クライエントさんが生きてきた歴史」を振りかえることが多くあります。この営みは、弱音を吐きやすくなり楽になっていく効果だけではなく、「自分の人生や自分と向き合う過程」で深い自己理解をもたらしていきます。
もちろんそのカウンセリングの過程で一時期的にしんどさが生じる可能性があります。とはいえ、そういったカウンセリングで醸成されていく「自分と向き合う姿勢」や、そこから生じる「深い自己理解」は、弱音をめぐる問題だけではなく、クライエントさんが抱えている多くの悩みや生きづらさをやわらげたり生き方を変えていく、あるいは人生をより豊かなものにしていくことにも繋がっていきます。
自分の歴史を振りかえる営みや、それを通してつくられていく「自分自身と向き合う姿勢」は、それぐらいの変化、変容をもたらしうると考えています。
弱音を吐けないことをめぐって様々なことを書いてきました。まだまだ書き足りないこと、考察しなければいけないことはたくさんあると思いますし、また機会があればそのあたりを書いてみたいと思います。
はっきりしていることは、冒頭で記したように、弱音を吐くことができづらい世の中になってきており、そのために様々なしんどさを抱えている方が増えてきているという事です。そして私の臨床経験からいえば、こういった方は総じて「まじめで頑張る方」が多い。
まじめさも頑張ることも肯定すべき資質ですが、いきすぎると様々な辛さやしんどさ、症状的なものを生みだす可能性もあります。
この記事を読んだ方が、少しでも自分の生きづらさをやわらげたり自己理解を深めるものになれば幸いです。
【執筆者】
- 西野入 篤
- 資格:臨床心理士、公認心理師
- 所属学会:日本心理臨床学会、日本心理療法統合学会
- 経歴:大学院修了後、精神科医療機関,大学の学生相談室などをへて、現在は浦和南カウンセリングオフィス代表。カウンセリング経験,臨床経験は約20年。詳しくは「カウンセラー・顧問
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