「悩みを悩むこと」の意味

当オフィスのカウンセリングでは、様々なことを考えながら、クライエントさん(相談者の方)が良い方向にいくにはどうすればいいかを、考えていきます。

 

今回はその中の一つについて書いてみたいと思います。たとえば、クライエントさんが抱えている悩みやきつさが「大きすぎる」場合、ケースバイケースですが、まずは「どうやわらげるか」を考えることが多いと思います。

 

一方で、それなりの大きさの悩みや問題を抱えているのに、無理に蓋をして、「悩まない状態」を強引につくりあげ、それが結果的に、クライエントさんの心身や日常生活に支障をきたしている場合は、言葉が難しいのですが、クライエントさんが「適切に・ほどよく悩める」ような援助の方向を検討します。

 

一つの比喩ですが、例えば、ものすごい脂っこいお肉を大量に食べたあと、胃腸がおかしくなったとします。多くの方は胃腸を休めたり、胃薬を飲んだりしつつ、時間の経過とともに、食べたお肉が「消化」されていくのを待つでしょう。

 

一方、もし何らかの事情により、食べたお肉が適切に「消化」されず、胃腸に長い間とどまっていたら、それはその方の体に何らかの悪影響を与えていく可能性があります。「消化されないお肉」が悪さをするわけです。

 

実は、心の悩みやしんどさにも、時に同じよう事が生じます。つまり、心という胃袋に、可能なら「消化」した方がよい、あるいは「消化できうる」悩みがあるにもかかわらず、あまりにもそれを無視したり、蓋をしすぎると、それがその方の心身に何らかの悪さを引き起こす場合があるのです。

 

そして、少々やっかいなのは、文字通りの胃腸であれば、体に何らかの異変を感じやすいのでしょうが、心にある悩みに蓋をしすぎると、そもそも蓋をしている事に気づかない、蓋の中身がなんだかわからない‥といった事が生じてきて、「そんなに悩んでいる実感はないんだけど‥何故かわからないけど、日常生活が上手くいかない‥学校や仕事にいけない」といった事が生じえます。

 

その様な場合は、「悩みに無理に蓋をする」から「悩みを悩めるようになる」方向にいけると、心という胃袋にあった悩みや生きづらさが「消化」されていく可能性が高まります。「悩みを適切に悩めるようになる」という事は、心身の健康にとって重要で意味のある事なんですね。もちろん、簡単な事ではないですが。

 

これは、倫理・教育・哲学的に「人間は悩むべきだ」とか教訓めいたことを言いたいわけではなく、カウンセリングをしてきて、ある場合には「悩むことによって悩みが解決されていく道筋」があり、それに適切に関わることがクライエントさんに役立つ場合がある、という実感からきているものです。

 

いわゆるポジティブシンキングとは違う、今の時代に流行らない考えかもしれませんが、「悩みを悩むこと」はその方の心身に、生産的になりうるのです。

 

もちろん、冒頭にも書きましたように、悩みが強すぎる場合、蓋を不用意にあけない方がよい場合もあり、基本的にカウンセリングはケースバイケースなのですが、「悩みを悩むこと」が意味をもつ場合があることは、確かだと思います。

 

当オフィスで実践しているカウンセリングへの理解の一助になれば幸いです。